父はよく、「嘘」を言う。
というか、「調子を合わせる」というべきか。
しかも、それは「自分をよく見せるため」の嘘であるが、それによって
周りを犠牲にする。
いつだってそうだ。
リフォームする際に、我々家族には
「そんなもん、言いたいものは必ずおるもんやから、したいようにしたらいい」
こういう風にしようと思うのだけど・・・・というと、
「おう、そうしたらいい。住むのは家族なんやから好きにしたらいい」
とか言っていたので好きにしたのだが、親戚には
「ほんとはリフォームなんかしたくなかった」
と、ずっと言いふらしていたようだ。
自分がそういう事によって親戚からの小言を防ごうとでもしたのかもしれないが、
こちらとしてはたまったものではない。
こちらは何度も何度も・・・・・プランを確認していた。
最終確認ももちろんとっているし、いつもリフォームの話をしていた。
玄関の位置にしても勝手に変更されそうになっていたし。
その度に「そうしたらいい。そうしんなんと思っていたんや」と言ってたし。
本心がどこにあるかなど分からない。
ほんとはしたくなかったのか、どうかとか。
今聞いても、「リフォームしたおかげで楽になった」とか
「やっておいてよかった」とか肯定的意見しか言わない。
今の父に移動手段はない。
だから何かあるたびに「どこか行きたい所ないか?」とか「何か買ってきてほしいものある?」と聞いている。
「すぐに思いつかないのなら、思いついたときに、紙に書いておいて」と。
それはそれは・・・・・二日に一度以上は聞いている。
それなのに他人には
「どこにもいけんし、買いたいものもなんの買えない」
「不便で仕方ない」
「人に会いに行こうと思うけど、全く行けない」
とずっと、ずっと、ずっと言い続ける。
まるでうちらが父を家に軟禁しているかのような言い様だ。
当然、周りがこちらを見る眼も変わってくるのだ。
まあ、その為にこちらは前もってあいさつ回りをしていたのだが・・・。
それにしても・・・・・・あの性格、忌々しい。

コメント
あぁ
私の中での「昔の人だな~」という感想を
持ちました。
昔の人って、外では自分の身内もふくめてへりくだるというか
卑下することが多いイメージ。
「愚妻」と呼ぶのもそのひとつでしょうか・・・
昔の価値観というか、同じような価値観を
持っている人ばかりが周囲にいらっしゃるのなら
そんなに心配はないのかもしれませんが、
現代では必要以上にへりくだることがなくなってきました。
おっしゃるとおり、お父様の話だけを聞いた方は
clausewitzさんご夫婦を誤解されるんじゃないかと
やっぱり心配になりますよね。
周りの方々が、昔からありがちの「姑が嫁の悪口を
言ってまわる(それも息抜き)」って思ってくださるといいのですが・・・
一生懸命されているご夫妻の姿、見てらっしゃる方には
絶対に伝わってると私は思いますよ。
体調はいかがですか?
お大事にしてくださいね。
(また何もいえない自分が情けない・・)
megさんへ
確かに昔の人、です。
しかしながら、家族にもいい顔をしようとするので余計、どっちが本音なのか分からない。
ちなみに実の弟さん(僕の叔父)にもやたらと他人行儀な話し方をします。
(「へぇー、そうなんですかー」等)
叔父自身もちょっと困惑気味。
これも昔からです。
どうも、誰に対しても本音で話していない気がするんですよね。
まあ、僕自身がかなり自分の意見を曲げないで通すタイプなので、結果的に父は引かざるを得ないのかもしれませんね。
親戚も僕の意見が全てだと思っている事でしょうし。
(まあ、だから非難されるときはされても仕方ない部分もあると思う)
ちなみに今の段階では、介護は「補助」といった感じなのでまだまだこちらは苦労しておりません。
(だからあまり一生懸命ではないんですよね)
えっと、体調は回復してきております。
ご心配をおかけしました
はじめまして。
はじめましてこんにちは。いつも興味深く拝読させていただいております。
非常に不躾な質問をさせてください。
clausewitzさんがお父様を看る(ようになる)のは愛情ですか?義務感からですか?
何故なら私だったら例え実の親だったとしてもclausewitzさんのお父様のような非常に難しい性格の方とは同居はおろか介護はしたくないというのが率直な感想です。
ましてや奥様にとっては義理のお父様になるわけで、そこには血のつながりというものは発生しません。
何故そこまで尽くせるのか不思議でならないのです。
我が家は親が遠方ということもあり、いずれは私の負担にならないよう然るべき施設に入る為の貯蓄はしてあるから貴方は気にせず自分の家庭を守りなさい、という方針です。
夫は長男ですが、義理の親も私達の介護(同居)を当てにしている様子は全くありません。
義父も職人気質の性格がきつい人で、もしいずれ面倒をみてくれと言われたら断ると思います。
clausewitzさんのようにちゃんとしている方もいれば、私の用に非常にドライな夫婦もいます。
その差を分けるものは何だと思いますか?
自分達の生活を犠牲にしてまで親を必ず看る必要はあると思いますか?
ご意見を聞かせていただけると参考になります。
よろしくお願い致します。
アルビナさんへ
アルビナさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
僕の場合、愛情ではなく義務です。
それははっきりしております。
これは場所柄もあります。
極端な田舎ということもあり、長男以外が家を継ぐことはなかなか考えられません。
結婚当初は富山で暮らしておりましたが、その時は母親も健在だったので、両親を残して一年間大阪で暮らしたこともあります。
しかし、母が急死し、父親だけが残されました。
父は何も出来ないタイプで、親戚中から「戻りなさい」と言われ、<僕の判断>で戻ることにしました。
その時から、介護の覚悟は当然にあったので、今もそのまま自然な流れでそうなっております。
一応、親を面倒みるのは子供の義務だと思っております。
だから、現在、妻の実父も同居しております。
ただ、もちろんではありますが、「手に負えなくなった時」は最近増えてきている施設に入ってもらう事にしています。本人も同意済み。
さすがに田舎でも「施設に入れるのは介護放棄だ」とは言われません。
親戚一同から「最近は施設もあるから、上手に利用しなさいね」と言われました。
なんというか、「育てられたから介護しなければならない」という感じではありません。
妻の実父を引き取る時も考えましたが、
「遠くで心配しているよりは、近くで見ていた方が気分的に楽」という感じです。
遠くにいても結局は「ひっかかる」んですよね。
「介護地獄にならない介護」というものも模索しております。
これからの社会はどうしても介護は避けられないので、今回の経験を何かに生かせたらいいな、という考えもあります。