昨日のことである
「自転車に乗りたい」
と、相談を受けた。
(もちろん、運動のためではない。移動手段として、だ)
というよりも、家にある古い自転車を持ち出して、勝手に自転車屋へ持って行って
修理しようとしていた。
そりゃ、そうだろう。
今は車にも乗れず、移動手段が徒歩しかない。
本人としては不便で仕方ない。
しかし、家族にとっては同時にそれは制限でもある。
言葉が悪いとすれば、限定、とも言えるか。
徒歩で行ける範囲は限られている。
スピードも遅く、人目にも付きやすい。
イザ、徘徊、となった時もある程度の予想はつくかもしれない。
しかし、自転車の場合、どこまで行くか分からない。
100kmでも200kmでも、際限なく行くだろう。
普通の人は言うかもしれない。
「迷子になっても携帯に電話して位置を聞けばいい」
しかし、徘徊するような精神状態の時にきちんと携帯を持って行くか分からないし、
持って行っていても「きちんと止まって」通話ボタンを押してくれるとは限らない。
何しろ、前回の時、徒歩だと言うのに一切、止まってはくれなかった。
むしろ、どんどん早歩き(ほとんど走っていた)になっていた。
しかも携帯の場合、走りながら通話しようとすると転倒の危険も高い。
人身事故も多いだろうし。
なんというか、「そんな危険性が出てきたら、止めさせれば?」と思われるかも知れないが、
いつもそれは突然やってくる
最初が分かれば苦労しない。
前回の時だって、まさか今の段階で・・とは思ってもいなかった。
もちろん、本人が望んでいる事だし、悪いことばかりではないだろう。
日々の季節の変化も、もっと楽しめるかも知れない。
あるいはまた、「自転車の操作の仕方を忘れる日」というものが分かっていいのかもしれない。
徘徊時、自転車がある程度の目印になるかもしれない。
(まさか自転車を持って山の中には入らないだろうし)
アルツハイマーの場合、基本的に外出時はついて行かないといけない。
夜中にどこかへ行くときも・・・・である。
どう考えるか・・・・・難しい。
乗っていい、としても鍵の管理はした方が良さそうだな。

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