トイレの使い方が分からない

ついに、というべきか。
それとも、もう少し前からそうなのか・・・。
ともかく、気付いたのは昨日なので「新しい症状」に書いておきます。

昨日から二度連続で、トイレを失敗しております。
失敗と言ってもおねしょではなくて、こぼすのです。

我が家のトイレは、便器の前に立つと自動で蓋が開きます。
男性が立ったままおしっこする場合、「便座を上げるボタン」を押さなくてはいけませんが、それが出来ないようです。

昨日、父が捻挫して歩けなかったので、トイレに行く時もついていきました。
すると便座をあげずにそのまましておりました。
最初、座ってするのかと思ったが、立ったままだったので

「あぁ、便座、上げんな。かかるよ?」

と言っても「大丈夫や」とそのまま、じゃーっと。

終わった後、仕方なく掃除しておきました。
この時は、捻挫が痛いから手を離せないのかと思っておりました。

しかし、本日の朝、捻挫の具合を聞いてみると、「良くなった」との事。
歩くのも普通に歩いている(もちろん、念のため接骨院に行きますが)

一応、便座を上げるか見ていたら、やっぱり上げてない。
あんまり見ていても嫌だろうから、すぐにその場を離れ、部屋へ。

そして、トイレした後に妙に水を流す音が。
二度三度、流している様子。

最初、妻が掃除でもして流しているのかと思ったら、父でした。

「おしっこ」=「便座を上げる」

という事が完全に抜けている。

「大丈夫だ」と言うのは、「分からない」と言うのが嫌なので、大丈夫と言うことにしておこうという意味にもとれる。

他所へ行ったときに同じようにしたら困るので注意していなければならない。
失敗しているようだったら掃除もしなければならないし。

コメント

  1. かにたま より:

    実家の父が
    ここ2年ほどで実家の父の耳が遠くなってきてるんだけど
    最近はちゃんと聞き取れてなくても、聞き返すことがなくなり
    なぁなぁで済ませてることが多くなりました。
    私もつい「ま、大した話じゃなかったし」でなぁなぁのまま。

    聞こえないことをアピールするのも、聞き返すのも
    どっちもイヤなんだろうなぁと思いつつも…

    こんな時、わざわざ言うべきものか、そのままにしておくか
    相手が親なだけに考えてしまいます(-“-;)
    おじいちゃん(ま、実際そういう歳)に話すみたいに
    大きな声でゆっくりと…ってのも何かワザとらしい気もして~
    体が元気で嬉しいんだけど、そういうギャップが微妙だなと。
    いつまでも親で、いつまでも強いわけではないと分かってるのですが…

  2. clausewitz より:

    かにたまさんへ
    コメント、ありがとうございます。

    耳ですか。大変ですよね。
    なまじ元気なので「補聴器つければ?」とも言いにくいし。

    なぁなぁ、で済ませるのも一つの手だと思います。
    ほんと、何かの契約でもする時以外は、それ程重要な話はしないと思うし。

    ただ、本人も「どうも最近、耳が・・・」と思ってらっしゃると思うんですよね。

    耳ってのは我々にはわかりにくいと思うのですが、目なら分かります。
    眼鏡が嫌でずっとかけないでいたら不便だし、余計目に疲労が溜まり悪くなる・・・一度眼鏡をかけたら便利で「今までどうして抵抗していたのか」と思うんですよね。

    後、実家の父って事ですので、同居している方はもっと変化を感じ取っていると思うんです。
    おそらく、その方の方がイライラやら不安やらは多いと思うので、色々と相談してみるのも手かも。

    我が家の場合、「おじいちゃんに話すように」して失敗したので、親はいつまでも親扱いすればいいと思います。

    介護などで本当におじいちゃん扱いしなければ駄目なときは必ず来るので、その時までは父親として扱っていけばいいと思います。

    親がそういう歳になってしまうと、子供としては何となく寂しい感じがしますよね。

    樋口さんの「手紙」という歌が歌詞も含めて人気になっているようです。
    一度見てみるのも良いかと思います。

    http://www.teichiku.co.jp/artist/higuchi/disco/cg17_lyric.html

  3. かにたま より:

    そうなんだね
    手紙の歌詞を見てみました☆
    そうだそうだと納得…というか、小さい頃に自分がしてもらったことを
    そのまんまお返しすることになるってことなんですね(–)(__)

    Myおとんは、表に出さないながらもプライドがめっちゃ高いので
    実家に帰った時は、楽しい気持ちになれるように
    おじいちゃん扱いまでいかない、少し大きな声で話しかけようと思います☆

    親はいつまでも親。「手紙」のようにはいかないかもだけど
    なるべく沿うように…いきたいものですね。
    いい言葉を教えてくださり、ありがとうございました(*^_^*)

  4. clausewitz より:

    実は・・・
    この歌、賛否両論なんですよね。

    正直にいいますと、介護にかかわっている人には評判が悪い。

    なんというか「介護を知らない人が書いている感じがする」んですよね。
    後、やっぱ「追い詰められてしまう」からかな。

    僕も含めてあまり介護を知らない人は「そういう発想もあるのか」と思うのですが、介護地獄の最中にある人にとっては、苦痛以外の何者でもないようです。

    僕ももっと後になって、姉にヘルプを求めた時に「あんたもそうやって育てられたんだから当然我慢しなさいよ」って言われたら、ブチ切れるか、介護放棄するか、自殺するか、でしょうね。

    いろいろと調べているうちに「生の声」に出会ったので、そっちも紹介しておきます。

    http://www.kaigo110.co.jp/consult/bbs_1.php?r_ct2=2&r_bb=21780&d=all

    少し重い(表示されるのが遅い)のですが、見てみてください。

  5. かにたま より:

    まるで文通(O.O;)
    コメント返し返しで~長くなっちゃってスミマセン!
    うーん、リンク先を読むと確かに賛否両論あるみたいですね。

    こんなことをclausewitzさんのブログに書くのはどうかと思うのですが
    やはり、介護の中心にいる人といない人の差が温度差になるのかなと。
    めっちゃ身近な表現なんだけど、宿題しようと思ってるところに
    「さっさと宿題しなさい」って言われたら~途端にガックリくる感じ

    それでも、広く多くの方に納得してもらうには
    あの詩は分かりやすく、心を打つんだと思います。
    生の声の中では黄色のトマトさんの意見に一番うなづきました。
    きっと親は(今でも言うけど)いざとなれば施設行くし好きに生きろと
    言うことは言うのですが…内心ははかりきれないです。
    でも最後は、お互いを思いやる気持ちなんだと思います。

  6. clausewitz より:

    かにたまさんへ
    いえいえ、長くても短くても全然オッケーですよ。

    かにたまさんはどちらかといえば、深夜の書き込みが多いので、返事が早いと少々意外な感じがします(笑)

    我々もまだ、父親の介護が必要な状態ではないのでリアリティーはありませんが、やはり「生の声」は強烈ですね。
    いつか・・・近い将来、必ず通る道ですので。

    介護するほうも、されるほうも・・・・あまり精神的に追い込まれないようにしなければいけませんね。
    そのためには、別の思考でもなんでも取り入れることは一理あると思います。

    施設に関しても・・・・うちもよく言われております。
    父からも言われるし、親戚の方からも言われます。

    なんか頭の片隅に「親を施設に送るのは親不孝者」って言われる気がして・・・。
    実際は、プロに任せるほうがお互いのためなんですけどね。
    (だからその時が来たら、預けると思います)

    親の内心との事ですが、自分自身の世話のために子供の人生を犠牲にする事を喜んでいる親など一人としていないと思いますよ。

    会いに行く回数を増やすとか、兄弟が仲良くしている様子を見せるとか・・・親としてはそういうのがうれしいんじゃないかな?

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