母は突然他界した。予告して他界する人など稀であろうが、突然は突然だった。
その時、夫婦は大阪にいた。
そこで資格のための学校に授業料を入金をすませ、働きながら勉強する予定だった。
これは、富山には両親が健在。二人とも元気。母は50代、父は60になったばかり。
対する、妻の父(以後、義父)は70代。
しかも、夫婦が結婚して富山に来ている間、ちょっと不安な事があって心配になり、二人で大阪に戻ることにした。
大阪に戻って、新しい生活をしようとした矢先に母が他界。
正直、「何よ、それ・・・」という感じだった。
(ブログを開始したのは他界する前日)
葬式があって、一通り落ち着いたとき、考えたことは・・・・
「これからは僕もいろいろと考えなくてはいけない」
ということ。
葬式の時、親戚一同から「長男なんだから全てを捨てて富山に来い」と
言われた・・・・。父は一人では何も出来ない人だ。
妻は「あんたの好きなようにしたらいい。従う。ただ後悔だけはしないように」と言ってくれた。
かなり悩んだが、帰るという道を選んだ。
最初に考えたのは「父がボケないように」という事。
次に考えたのは、義父へのフォロー体制。
月に一度、大阪へ帰る事にしてこれは解決。
父はもともとボケやすい性格であったため、母が死んだショックでぼけるのでは、と心配になる。
注意深く見守ると共に、いろいろな準備が必要になる、と考えた。
とりあえず、母が勝手にかけていた父の生命保険を調べる。
(父は、保険がかけられている事を知らなかった)
死亡保障を極限までになくし、代わりに入院保障を増額した。
父は絶対にボケる。しかも入院したら長いだろうと思ったからだ。
と、同時に考えたのが「介護のための保険」である。
もちろん、介護状態にならないかもしれないが、なるかもしれない、という事。
他に考えたのが、家のリフォーム。
誰かの死後、一年間は普通はリフォームしない、というのが田舎でのセオリー。
精神的に参っている時に環境が変わると、駄目だ、という事だ。
しかし、その当時、我が家は座敷が未完成のままだった。
葬式の際にも他の人から「天井と壁が完成していない」と言われたばかり。
たくさんの法事がある事を考えれば、天井と壁くらい作っておかないと駄目だろう。
49日が終わってしばらくしてから、天井と壁だけリフォームした。
家族の感覚的にはほぼ変わってない。
だから大丈夫だろうと判断した。
1年が過ぎてから、今度は本格的なリフォームに取り掛かる。
台所も床が抜けそうな状態であったし、風呂も錆びた水しか出なかった。
外見は立派であるが、ちょっと使い勝手が悪かった。
この頃には、大阪の義父を毎月訪れるのもちょっと苦痛になり、いっそのこと
富山に迎えたらどうかと考える。
常識外れの事のため、相当悩んだが、非難される覚悟で決行することにした。
頭の中にあるのは「老人二人(しかも他人)の介護」だった。
今の所、二人とも元気である。
しかし、母の事を考えても、何があるか分からない。
先に出来ることは全てやっておきたい。
備えあれば憂いなし・・・・。
次回からは「保険」と「リフォーム」をちょっと詳しく書いてみたいと思います。

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